OCS KNOWLEDGE NODE 02 / HISTORY
海女の歴史
海女はいつからいるのか。先史時代の海産物採取の痕跡から、古代の文字記録、近世の図像、近代の磯メガネと白い磯着、戦後のウェットスーツ、そして1972年の安乗へ。史料の強さを分けながら時代順に辿ります。

10-SECOND ANSWER
海女につながる海の採取は先史時代まで遡る。女性の潜水者を示す文字記録は古代に明確になる。
縄文・弥生時代の遺跡にはアワビやサザエの殻、アワビを起こすための骨製道具が残ります。ただし、それだけで採取者が女性だったとは断定できません。奈良時代の歌や平安時代の『延喜式』になると、志摩の海人や「潜女」を示す文字資料が現れ、現在の海女文化につながる歴史がより具体的に見えてきます。
5 KEY POINTS
海女の歴史を5点で見る。
- 先史時代にはアワビなどの海産物採取の痕跡がある。
- 8〜10世紀の文字資料になると、志摩の海人・潜女の存在がより明確になる。
- 明治期に磯メガネ、1890年代末頃に白い磯着が広がる。
- 1950年代後半からウェットスーツが入り、普及速度には地域差があった。
- 1972年の安乗は、その移行差を直接写真で確認できる重要な基準点になる。
EVIDENCE FIRST
「5000年の歴史」を、全部同じ確かさでは扱わない。
海女文化は「約5000年」と紹介されることがあります。これは先史時代の貝塚や採取道具など、海に潜って貝類を採る営みにつながる考古資料を含めた長い時間軸です。一方、特定の時代に女性の潜水者がいたことを直接読み取れる資料は、文字史料が残る古代以降の方が強くなります。OCSでは、採取の痕跡と女性の海女を直接示す記録を分けて扱います。
TIMELINE
先史 → 古代 → 近世 → 近代 → 1972 → 現代
縄文・弥生時代 — 海の貝を採る営みの痕跡
志摩などの遺跡からアワビやサザエの殻が出土し、骨製のアワビオコシも確認されています。ここから海産物採取の古さは読めますが、採取者の性別までは決められません。
8世紀 — 『万葉集』に海人と潜水の世界が現れる
759年成立の『万葉集』には、志摩や伊勢の海人、海へ潜る姿を詠んだ歌が残ります。海と潜水採取が当時の生活世界として認識されていたことがわかります。
927年 — 『延喜式』に「潜女」
『延喜式』には志摩国の「潜女」の記載があります。女性の潜水者を示す語が制度的な文書に現れる、海女史の重要な文字資料です。
中世〜江戸 — アワビ、伊勢神宮、海女の図像
中世の伊勢神宮関係文書や、江戸時代の地誌・名産図会には海士・海女の記録が残ります。1799年の『日本山海名産図会』には伊勢国和具浦の女性海人への言及もあり、浮世絵にも海女の姿が描かれました。
明治初期〜末 — 磯メガネが入る
明治初期、潜水用メガネが使われ始めます。漁獲量が増えることから一時禁止された地域もありましたが、明治末には定着。初期には左右の目を別々に覆うゴーグル型も使われました。
1890年代〜 — 白い磯着が定着へ
鳥羽市の海女資料では、1890年頃に志摩の海女が朝鮮半島へ出漁するようになり、1898年頃から白い磯着を身につけて潜るようになったと整理されています。白い磯着は「太古から変わらない姿」ではなく、海女史の中では比較的新しい仕事着です。
1950年代後半〜 — ウェットスーツという大きな変化
ゴム製ウェットスーツが使われ始め、低水温への耐性と潜水時間に大きな変化をもたらしました。ただし普及時期や使用規制には地域差があり、資源保護のため導入を遅らせたり、着用条件を設けたりした地域もあります。
1972年8月24日 — 安乗にはまだ白い磯着の海女がいる
鳥羽市立海の博物館所蔵写真には、安乗の海女が白い磯着、磯手拭、磯メガネを着け、素足で海底へ向かう姿が残っています。鳥羽・志摩では1960年代以降ウェットスーツや足ヒレが順次使われましたが、安乗は導入が特に遅かったとされています。技術革新が一斉に起きるのではなく、地域ごとに速度が違ったことが見える重要な基準点です。
1980年代〜現在 — 高齢化、継承、文化財化
1980年代頃から高齢化と後継者不足が広く意識される一方、海女漁は現在も鳥羽・志摩などで続いています。2017年には「鳥羽・志摩の海女漁の技術」が国の重要無形民俗文化財に指定され、2019年には「海女(Ama)に出逢えるまち 鳥羽・志摩」が日本遺産に認定されました。生業であると同時に、地域の知識・信仰・資源管理を含む文化として保存と継承が進められています。
WHAT ACTUALLY CHANGED?
変わったのは「素潜り」だけではなく、その周囲の世界。
裸眼 → 磯メガネ
地域の旧来衣服 → 白い磯着 → ウェットスーツとの併用・移行
岸からの徒人、舟人、ノリアイなど地域ごとの仕事システム
操業時間、道具、漁場、ウェットスーツ規制など資源管理
ANORI TIME MACHINE
歴史を「1972」で止めず、20年進める。
OCSでは1972年の安乗を直接写真資料の基準点にし、1982年、1992年へ時間を進めています。白い磯着だけを「昔の海女」として固定せず、仕事着、船、港、道具、海女小屋が20年間でどう変わったかを見ることで、歴史を生活の変化として捉えます。
FAQ
海女の歴史でよくある疑問
海産物採取につながる考古学的痕跡はありますが、それだけで女性の海女だったとは断定できません。女性の潜水者を示す文字資料は古代になるほど明確になります。
いいえ。鳥羽市資料では1898年頃から白い磯着を身につけて潜るようになったと整理されています。
1950年代後半から使われ始め、1960年代以降に広がりました。ただし地域ごとの導入時期や規制には大きな差があります。
はい。人数減少や高齢化という課題はありますが、鳥羽・志摩をはじめ各地で現在も海女漁が続いています。
NEXT NODE
では、海女は何を持って海へ入る?
次は「海女の道具」。磯メガネ、カギノミ、スカリ、タンポなど、少ない道具で仕事が成立する仕組みを見る。
主要参照:三重大学海女研究センター「海女の歴史」/鳥羽市「海女の歴史」年表/文化庁 国指定文化財等データベース「鳥羽・志摩の海女漁の技術」/三重大学海女研究センター画像資料アーカイブ「安乗(海女)1972.08.24」。史料から直接確認できる事実と、OCSによる視覚再構成は分離して扱います。
三重大学 海女の歴史 / 鳥羽市 海女の歴史年表 / 文化庁 重要無形民俗文化財
AMA KNOWLEDGE MAP / 01–20
海女を、別の入口から辿る。
01 海女とは? / 02 歴史 / 03 道具 / 04 服装 / 05 潜り方 / 06 潜水時間 / 07 採るもの / 08 徒人・船人・ノリアイ / 09 安乗の海女 / 10 ウェットスーツ / 11 海女小屋 / 12 磯メガネ / 13 磯笛 / 14 カギノミ / 15 白い磯着 / 16 仕事着20年 / 17 船・港20年 / 18 道具20年 / 19 海女小屋20年 / 20 身体・世代20年
